隠岐 北と南が混じる森
島根半島の北、浅い海をはさんで40~80kmの日本海に浮かぶ隠岐諸島。1800種とも言われる植物種が分布する一方で、離島にしては固有種が少なめであることも特徴なのだそうです。
これらの島々は約600万年前に火山活動によって形成されました。過去の氷期には海水面の低下によって本州から北に突き出る長い半島になっていた時期もあったそう。この「隠岐半島」 は海に囲まれて比較的温暖であったため、本州内陸で生育できなくなった多くの植物種の逃避先になったと考えられています。そして、氷期と間氷期がが繰り返される中で、北方系と南方系の植物が共存する独特な植生が形づくられたという壮大な仮説が示されています。
現在でも(遠くに住む私にとっては)山陰はやや寒冷なイメージがありますし、緯度(北緯36度)は東京よりも北になります。一方で、対馬暖流の影響や高い山がないことからは、温暖さも感じられます。
島後(どうご)と呼ばれるもっとも大きい島と、島前(どうぜん)と呼ばれる西ノ島・中ノ島・知夫里島のうち、今回は知夫里島を除く3島の森の見どころをめぐりました。
島前・中ノ島(海士町)
13時過ぎ、フェリーで島前の中ノ島・菱浦港に到着。中ノ島は面積33平方km、人口約2200人(いずれも 4島で3番目)。
初日、昼からの半日はこの島で過ごします。上陸したらあいにくの雨、ただ、遠くに青空も見えたので、港の観光案内書で自転車を借りて出発。
歴史のある隠岐。森めぐりは寺社めぐりと重なります。15分ほどで島の中心部にある隠岐神社。雨はやんできました。
春はサクラの名所なのだそう。もう観光には遅めの季節で、静かです。
この神社は昭和14年と比較的最近の創建。この地はかつて、鎌倉時代、承久の乱に敗れて配流された後鳥羽上皇が過ごした場所で、崩御700年目を記念して創建されたとのこと。
広い境内。スギ。
クスノキ。
タブノキ。
ホソバタブ。
後鳥羽上皇が仮御所としていた行在所の跡、そして火葬塚。在島は19年間に及んだのだそうです。
イチョウ、サザンカ。
「網掛けの松」。いまは海岸から離れた立地ですが、かつてはマツの巨木に船を係留していた名残とのこと。先代の大きな根株の中に若木が育っていました。
スギの生垣。向かいにある「後鳥羽院資料館」を見学。
さらに、近くにある村上家も瞥見。この島の有力者で、後鳥羽上皇の世話をした旧家と伝わります。
裏山は中世の城郭だったそうです。
次に向かったのは、金光寺(きんこうじ)山。舗装道路がついていて自転車で登れました。標高は168mに過ぎませんが、中ノ島の北半分は島前一の平坦地が広がっており。大きな展望が開けました。すっかり青空になり、幸運です。
山名となったお寺が山頂直下に。
こちらは平安初期の公卿、小野篁(おののたかむら)が配流の赦免を祈願した場所とのこと。
頂上は木立に囲まれていました。
ウラジロガシ、スダジイ。
コナラ。
クヌギ。
モミ。
サカキ。
シャクナゲ。
クロガネモチ。
イロハモミジ。コハウチワカエデ。
エンコウカエデ、ウリハダカエデ。
コブシ、ホオノキ。
ヤマハゼ。
アカメガシワ、カラスザンショウ。
下り。帰るのが名残惜しいくらいの景色でした。
里に戻って、もうひと走り。道端にあったクリ林。
カキ。
宇受賀命(うづかみこと)神社。延喜式内社です。田んぼの中の鳥居が印象的。
隠岐が遠流の地に定められたのは奈良時代。その後、実に3,000人以上が流されてきたのだそうです。貴族や神職など身分の高い者の配流が多かった理由は、離島でありながら経済力があり食物に困らない土地だったから、という見方があるそうです。確かにこの地の景色はとても豊かで穏やかに見えました。
自転車を返し、港のそばに投宿。
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島前・西ノ島(西ノ島町)
日が変わり、2日目は朝から次の島へ。7:30の船で菱浦港を発ち、狭い水道をわたります。
所要15分で西ノ島・別府港に到着。休日のせいか静かな港。雲が流れています。西ノ島は面積56平方km、人口約2600人(いずれも4島で2番目)。
港から近い、海に突き出た丘に位置する黒木御所跡。
ここもまた遠流の史跡。鎌倉時代末期、倒幕に失敗した後醍醐天皇が滞在したとされる伝承の地です。その後島を脱出し「建武の新政」に至った後醍醐天皇、在島は1年余であったとのこと。
マテバシイ。
スダジイ、クスノキ。
クロマツ。
モッコク、ヒサカキ。
トベラ、ヤツデ。
ムベ、ツルアリドオシ。
焼火(たくひ)山
西ノ島で訪れたかった森、島の南東の焼火山。 港からくるまで30分、神社に至る歩道の入口に到着。
参道の急坂を登っていきます。
天然林の中。今日もすばらしい青空。
焼火神社。海上守護神として信仰され。古来、都にも名が知られる存在だったそうです。 江戸時代に建造された社殿は岩窟に潜りこむように鎮座。
社殿の前にたつスギのご神木。直径は軽く100cm超え。
ケヤキ。こちらも見上げる大木。
ヤブツバキ、サザンカ。
イロハモミジ。
ここから山頂にむけた歩道をたどります。常緑広葉樹が優占する天然記念物の森。
ウラジロガシ。
アカガシ。
スダジイ。
どんぐり。アカガシとスダジイが豊作であったよう。
常緑針葉樹も混交します。モミ。
そしてアスナロ。
クスノキ科の常緑樹が多数。シロダモ。
ヤブニッケイ。
タブノキ、ホソバタブ。
カナクギノキ。
ユズリハ、サカキ。
ヒサカキ。
ヤブツバキ。
アオキ、ネズミモチ。
クロガネモチ。
落葉樹。クロモジ。
コハウチワカエデ。
ウリハダカエデ、イタヤカエデ。
クリ。
イヌシデ。
アカシデ。
クマノミズキ、アオハダ。
尾根に出ました。歩道はよく整備されていました。
山頂付近に近づくと、樹高が低いアカガシの優占林。
山頂の標高は452m。そこから少し先に展望台がありました。この焼火山は、近くに見える中ノ島、(ここからは見えなかった)知夫里島、そしていま立つ西ノ島の「重心」と言える場所にあります。地誌的にみると、焼火山は、かつて600万年前の火山活動でできた火口丘で、周囲のカルデラ地形(←多くの場合は湖になっている)が海に「沈んでいる」世界で2か所だけの場所なのだそうです。
そして、 その立地は人間の歴史の中でも意味を持ち、焼火(たくひ)の名は、ここで灯される火が灯台の役割を果たしたことに由来しています。
コマユミ、ニシキギ。
サワダツ。
ノリウツギ、ウツギ。
ミツバツツジ。
ムラサキシキブ。
ミヤマガマズミ。
コバノガマズミ、オオカメノキ。
スギ。
カヤ。
イヌマキ。
下り道。西側の展望が開けました。常緑と落葉の対比がはっきりしていました。
イヌビワ。
アカメガシワ。
キブシ。
ヤマハゼ。
ヌルデ。
カラスザンショウ。
モミジイチゴ。
ムベ。
ノブドウ、キヅタ。
2時間ほどで入口に戻りました。
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浦郷・国賀浜
まだ時間があったので島の西側へ。浦郷地区にある由良姫神社。延喜式に記される隠岐一宮。
マテバシイ、サカキ。
小さな入江に面しています。ここにはかつて冬時期にイカの大群が冬に押し寄せ、それを「拾う」ために見張り小屋が立ち並んでいたのだそうです。その復元展示。
イカは神社の由緒にも登場します。本殿にも姿が。
隠岐を代表する名勝、国賀海岸にも足を延ばしてみました。海と空の青さ!
通天橋、国賀神社。
陸側に目を移すと、広い草地。島には、かつて「牧畑」と呼ばれた、放牧と畑作を組み合わせた中世以来の土地利用があり、村民が共同で管理していたのだそうです(現在は町が管理)。
牧畑では、地力の維持を図るようイネ科とマメ科を交互に配した4年サイクルの輪作(麦→小豆→粟稗→大豆) が行われていましたが、1960年代には姿を消し、現在は、肉用牛(隠岐牛)を中心とした放牧利用のみが継続されています。道端でもウシを見かけました。
独特の景観。シバの草地が維持されていた箇所が、畑作が行われないために樹林化が進んでしまった状況かと思われます。遠くから白く見える低木はアキグミのようです。
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別府港に戻ってフェリーに乗船。西ノ島も短い滞在でしたが、たのしみました。
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島後(隠岐の島町)
1時間40分で島後(どうご)の西郷に入港。かつて北前船の寄港地、風待ち港として交易で栄えた港町です。隠岐最大のこの島(←島名がないのだそう)、面積は243平方km、人口約1万3000人ほど。
まずは西郷をめぐります。港からくるまで10分ほど。玉若酢命(たまわかすみこと)神社。
境内には「八百(やお)杉」。観光ガイドにも載る隠岐「三大杉」のひとつ。樹高は約30m。幹の周囲長は約11mに達しています。
樹冠の張りも圧巻。「枝」の直径が軽く1mを超えています。
隣接する億岐(おき)家。古来国造(くにのみやつこ)、国司を務め、玉若酢命神社宮司でもある家系。何代続いているのでしょうか。。
宝物殿では、奈良時代の駅鈴(都への使者が馬につけた鈴)と倉印(税の出納に使われた印鑑)。現代まで伝わったことに感銘を受けました。
神社の裏に歩道が通じていました。よく発達した森。
古墳がありました。全長32mの前方後円墳。6世紀前半の築造とのこと。億岐家の祖先が葬られているのでしょうか。。1500年にわたってこの場所に居つづけていると考えると、すごいことです。
モミ。古墳の上にありました。こちらももう何代目でしょう。
スダジイ。
クリ、ウラジロガシ。
クロモジ、イヌビワ。
サカキ、クロガネモチ。
ヌルデ、コハウチワカエデ。
クロマツ。
思いがけず深い森が見られました。
続いて、隠岐国分寺跡。
ウラジロガシ、コウヤマキ。
隣接して、隠岐で約800年の歴史を持つ牛突き(闘牛)場。ドーム型のとても立派な施設。
西郷に宿泊。
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大満寺山
3日目は、隠岐諸島の最高峰、大満寺山(標高608m)とその周辺を歩くことに。この山もやはり火山活動による溶岩丘で、かつては航行の標識となり、中腹にある(山名である)大満寺は船関係や商人からの厚い信仰を集めていたそうです。
標高100m、有木(あらき) 川の登山口から向かいます。かつては主要な道だったようですが、頂上近くに峰越林道が通り、現在は利用者があまり多くないよう。
途中通行止めがあり、しばらく林道歩き。ケヤキ。
イヌビワ。
ネムノキ。
アカメガシワ、カラスザンショウ。
登山道に入ると急な登り。尾根部には常緑・落葉樹が混交。ウラジロガシ。
スダジイ。全体には二次林の林相ですが、ところどころに残された直径70cm超えの大径木。
コナラ、ミズナラ。このあとは、ミズナラが一貫して目立ちました。
針葉樹も混交します。モミ。最大直径は50cmほど。かつては大径木がもっと多くあったとのこと。
アカマツ。
この付近ではアカマツとクロマツの特性をあわせもつ雑種(アイグロマツと呼ぶ)が見られるとのことでした。
スギ。
クロベ。ここでは矮性の1本のみ発見(この樹種については後でまた)。
カヤ。
全体には二次林の雰囲気ですが、ときに奥山の感。
シロダモ。
ヤブニッケイ。
ソヨゴ、シキミ。
ヒサカキ。
ヤブツバキ。
ネズミモチ。
ムベ。
ヤブコウジ。
ところどころ人工林もありました。30ー50年生くらい。
スギ。
ヒノキ。
アカマツの人工林も。一部、下層にミズナラが密生していました。
コハウチワカエデ。
ウリハダカエデ。
イタヤカエデ。
イヌシデ、アカシデ。
ウワミズザクラ。
ミズキ、エゴノキ。
よい景色の森が続きます。
ゆっくり歩いて1時間半。標高350m、大満寺に到着。お寺の建物は半壊してしまっていました。
ずっと眺めのない道でしたが、木立の間から 山頂方面が。
マユミ、ツリバナ。
ニシキギ。
ノリウツギ、ウツギ。
ガマズミ、コバノガマズミ。
急坂で汗をかいたところに「窓杉」。2本のスギが上部でつながった「連理木」になっていました。
この大きさの連理木は日本国内では屈指の存在です。ぜひ「四大杉」と呼んでほしい。
頂上に向けて標高を上げていきます。溶岩丘の山頂部、最後はとりわけ急登。
常緑樹も最後までありました。シロダモ。
次第に落葉種が多くなっていく印象。着葉もめだって少なくなりました。ホオノキ。
シナノキ。
コハウチワカエデ。
クマノミズキ。
登山口から2時間強。標高608mの山頂に到着。
西から南の展望が得られ、西郷の港が遠望できました。西ノ島の火山と異なり、こちらでは噴出した溶岩と火砕流でカルデラ地形が埋まっているのだそうです。
山頂にもミズナラ。
下り道も急坂。ヤブツバキのトンネル。
シラキ。
クロモジ、アオハダ。
ツノハシバミ、キブシ。
サワフタギ。
ヤマツツジ。
ツタウルシ、ツルアジサイ。
下りはじめてほんの15分で峰越林道に出ました。ここからは舗装された道を東へ下ります。
ヤマグワ。
カツラ。
サワグルミ。
このコースの最後は「三大杉」のひとつ、岩倉の乳房杉。樹齢800年と言われています。樹高30m、幹の周囲長は約11m、主幹は多数に分枝し、その部分からコブが垂れ下がっています。解説によれば、この場所は、山頂部から崩れ落ちた岩塊が積み重なった立地で、根が張りにくい一方で、岩の隙間から流れ出る冷たい空気によって霧が多発します。コブ(下垂根)は空気中の水分を吸収をする働きをしていると考えられているそうです。
長らく奥山に人知れず佇んでいたのでしょうが、いまは林道が開通して、隠岐観光を代表する見どころのひとつになっています。今日は人がおらず、しばし立ち止まって圧倒的な存在感に向き合いました。
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鷲ヶ峰
大満寺山からも登山道が続いているのですが、その後の行程を考えて、くるまで移動。
こちらも駐車場は静か。結局、終日、歩道では人に出会いませんでした。
南への道をたどります。しばらくは人工林。やがて岸壁の景色が見えました。鷲ヶ峰は標高560m。その下に広がる森が目的地。
小さい沢をわたると林相が変わって、スギが優占する「鷲ヶ峰天然林」の看板。
原生的な、なかなか見られない見事なスギ林です。山深い立地とはいえ、 隣まで人工林になっていることを考えると、よくこの森が残ったと思います。
直径100cmに近いスギもありました。詳しい情報を得られませんでしたが、木の太さと密度からすると、軽く1000立方m/ha以上の蓄積になると思われます。
下層にスギは少なく、おもに常緑広葉樹が優占。
隠岐のスギは、日本海側に分布する「ウラスギ」 に加え、太平洋側に分布する「オモテスギ」の特徴をあわせもつスギが混在し、遺伝的な多様度が高いことが知られています。このことは、約2万年前の最終氷期に本州と陸続きになった隠岐が、寒冷地では生育できないスギの逃避地となっていたことを示唆しています。
シキミ。
ユズリハ。
ヤブツバキ、アオキ。
カヤ。
ミズナラ。
コハウチワカエデ。右はミズメ? カンバ類(らしきもの)今回見かけたのはこれだけでした。
クロモジ。
ウリノキ。
主稜線に出ました。鷲ヶ峰の山容が見えています。
案内図では、スギのほか、クロベやモミも見られるとのことでしたが、道沿いでは確認できませんでした。クロベは、岩礫地などに生育立地が限られることによるのかもしれません。オキシャクナゲもおそらく同様。
岸壁がある鷲ヶ峰の頂上にも行けばよかった、、と思いつつ、時間の制約で今日はここまで。もとの道を下りました。
すばらしい森を再度堪能。
カツラ。
サワグルミ。
帰り道からの遠景。
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島内を一周
島の北東。布施集落の春日神社。早朝。境内のクロマツには南方系のナゴランが着生しているとのことでしたが、まだ暗く、花期でもないので見つけられず。
かつては樹齢は350年、日本一の高さのクロマツがあったのだそうです。その記録はなんと66m(!)。元気なときに見たかったです。。
浄土ガ浦とよばれる、海とクロマツの景観。
集落の外れにある大山神社。海から5分ですが、とても山深い印象。
布施は江戸期から植林が行われ、林業が盛んな土地柄だそうです。
この神社は社殿がなく、スギがご神体。直径は2mを超え、樹高は45m、樹齢800年と記されています。これもまた「大杉」の仲間に加えたい1本です。
隔年4月の「山祭り」では、山仕事の安全を祈るため、根本近くにカズラを7周半巻き付ける「帯締め」と呼ばれる行事がおこなわれるのだそうです。
カズラは、サルナシを指すようです。
ケヤキの大径木も境内に2本。
近くには、江戸・享保年間(約300年前)に植栽されたと伝わるスギがありました。
若い造林地も。隠岐の人工林率は約40%とのこと。
くるまを30分ほど走らせて、島の最北端に近い白島海岸へ。
ここでもミズナラが多くみられました。島根県の本土では、ミズナラの分布の中心は標高500m程度以上だそうです。海岸のミズナラは、北の雰囲気をあらわしており、隠岐の植生を特徴づける存在と言えそうです。
アジサイ。この時期でも若干色づきが残っています。対馬暖流の湿気が影響しているのかも、という解説。
クロマツ。美しい樹形が見られる一方、マツ枯れ個体も多く目につきました。。
ヤシャブシ。
スダジイ、トベラ。
オオバヤシャブシ。
オオバイボタ。
マツ枯れは島内各地で見かけました。残念ですが 西日本では普通になってしまっている景色。心傷みます。。
西へむかい、久見集落にある伊勢命(いせみこと)神社。この周辺には黒曜石の産地があり、古代には石器の材料として広く日本海側に交易されたそうです。
そこからくるまですぐ。標高50m 足らずの小川に沿った道沿いの変哲のない場所ですが、、
クロベを見ることができました! ヒノキ科の日本固有種で、おもに中部以北に分布。近畿以西では自生が6箇所しか確認されていないそうです。深い山地に生育するイメージですが、岩が露出したような箇所ならこうした低標高にも見られることが隠岐の特徴。
匍匐するような樹形のものが多かった中、直立して樹高5m以上に達したものも。
さまざまな樹種と混交しています。アカマツ。紅葉しているのはミズナラ。
モミ、スダジイ。
北方系と南方系の植物種が両方見られます。林内に立ち入ることはできませんでしたが、イタヤカエデ(北方系)やトベラ(南方系)、大陸性のミツバイワガサやヨコグラノキも生育しているのだそうです。
そして林床にはオキシャクナゲ、オオイワカガミ。前者は、山地に多いツクシシャクナゲの変種だそう。後者は、鳥取の大山などでは標高1000mを超える箇所に見られる高山~亜高山性の植物です。この近くでは海岸沿いでも見られるとのこと。
クロベ、オキシャクナゲ、オオイワカガミ、3種がそろった様子。満足しました。
島北部の大きな集落・五箇。水若酢(みずわかす)神社。本殿は「隠岐造」と呼ばれる様式。
クスノキ。
境内の見事なクロマツ。樹高30m以上ありそうです。 かつて(マツ枯れ前)は、樹形のよい大きなマツが島のいたるところにあったことを思わせました。
その下には土俵。相撲が盛んな土地柄、20年に一度、神社の遷宮の際に相撲が奉納されるそうです。
西海岸に沿って行くと、油井(ゆい)の池。大規模な地滑りがつくった窪みに水が溜まった池だそうです。
あいにく大雨災害で歩道が通行止め。わずかしか歩けなかったのは残念。
ただ、はじめて出会えた希少な樹種も。ケグワ。
イヌビワ。この森も含め至るところで見かけましたが、その分布は日本海側では鳥取まで、太平洋側は房総半島の沿岸部までのようなので、隠岐は北限の生育地であるようでした。
ウリハダカエデ。
シラキ。
ハゼノキ、タラノキ。
ノリウツギ、アカメガシワ。
カラスザンショウ。
ウツギ、リョウブ。
クサギ、ミヤマガマズミ。
クリ。
南西に位置する都万(つま)集落。浜辺につくられた、船を収容する伝統的な船小屋が復元されていました。屋根はスギの樹皮で葺いているのだそう。
日暮れ前。島の中央部。「三大杉」のひとつ、かぶら杉。道のすぐわきにありました。樹高38m、胸高直径296cm。「かぶら」は「株」でしょうか。7本の幹が株立ちしていました。
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森を歩きながら、海の景色もたのしんだ3日半。長い歴史に触れつつ、現在の島の生活を垣間見ることもできました。 森めぐりは、期待どおり北と南の両方の雰囲気を存分に感じました。
時間は全然足りませんでした。。知夫里島には行けなかったし、見残した箇所もたくさん。再訪することを期して、帰路につきました。次はシャクナゲやイワカガミの花の季節に。